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目 次
「遠くの仮設(住宅)には住みとうない。だれも来んやろう」と、神戸市長田区の公園に建てたバラックで避難生活を続ける独居男性(51)は言った。「あいつの部屋にも酒瓶が転がってたな」――同じ公園内で死んだ一人暮らしの仲間に思いをはせるように、ガラスコップに日本酒を注ぎ、のどを湿らせる。
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社会との接点を消し、仮設住宅で死後10カ月で発見された洋介さん(仮名、当時38歳)も、アルコール依存症だった。「大声を出したり暴れたりする『酒乱タイプ』でなく、『静かなアル中』。周りも気に留めなかった」と当時の自治会長(45)。
だが、その死後にいくつかの「サイン」があったことに気づいた。「においがする」との連絡で、何度か足を運んだが「潮のにおいか、ゴミのにおいか、分からなかった」。同じ棟の女性(55)も「県から配られたモチの引換券が、昨年末から扉にはさみっぱなし。蛍光灯もついていた。警察にも何度か連絡したんやけど」と証言する。
この仮設の入居者は、行政が言う「社会的弱者の優先枠外」の働き盛りの男性で、仕事で留守がちの人も多い。にもかかわらず、洋介さんのように、扉を閉ざしたまま6人が孤独死、1人が自殺している。
洋介さんの遺体が見つかった翌日の9月30日。市は重い腰を上げた。単身世帯の緊急安否確認調査と、応答がなかった世帯への錠を壊しての踏み込み調査の開始決定である。しかし、調査の結果は「無断退去」や「荷物置き場」ばかり。行政と住民の意思疎通の希薄さを見せつけた。
「高齢者中心の安否確認には限界がある」との指摘は以前からあった。なぜ今になって。「市は住宅のハード面ばかりを取り繕い、そこに『人が住んでいる』とは考ていない。プライバシーも大事だが、命はもっと大事なのに」。仮設で在宅ケア活動をする阪神障害者高齢者支援ネットワークの看護婦、黒田裕子さん(48)の涙声は怒りに震えた。
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同市西区の西神第7仮設で、約1年前から、断酒会を兼ねた「アルコールに関するミーティング」が開かれている。集まった十数人は50歳前後の男性ばかり。
担当の土井寛子・市精神保健福祉相談員は「街から離れて外食がしにくい―作ってくれる人もいない―保存の利く酒類で腹を満たす―食べずに飲むと、急速に内臓を悪化させる」と酒の背景と危険性を指摘する。
が、孤独な心のすき間に酒がはいり込む。カギをかけ、昼間もカーテンを閉め切った暗い部屋。コップ酒を手に男はつぶやいた。「なんでなのかわからへん。ズルズル飲んでしまうんや」
(平成8年11月19日付け 毎日新聞朝刊)
日本人の酒の消費量量は増え続けており、アルコール依存症の患者も女性や若年者、高齢者に広がり、問題飲酒者は全国で200万人以上と推定されている。職場や家庭で多くの悲劇が引き起こされているのに、日本の事業所は飲酒問題に寛容すぎる実態が、広尚典(ひろ・ひさのり)日本鋼管病院鶴見保健センター主任医員の調査で確かめられた。職場の飲酒風土を変え、アルコール依存症の予防策を探るのに参考になる調査結果だ。広さんは「職場の健康対策で飲酒問題を取り上げ、地道に飲酒風土を見直していく必要がある」と訴えている。
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勤務後は社内で
調査は昨年春実施。秋田、神奈川、三重、京都、福岡の5府県の151事業所から郵送で寄せられたアンケート結果を集計した。事業所は製造業を中心に零細企業から大企業まで含まれ、回答したのは人事担当や衛生管理者が大半だった。
過去5年間に、従業員が飲酒に伴う交通事故やけが、肝臓障害などの病気を体験したと答えた事業所は46%と半数近くに上った。これは回答者が把握しているもので、実際の飲酒事故や病気はさらに多いとみられ、職場での飲酒問題対策の必要性を示した。
飲酒の実態は、「勤務中に飲酒のことを話題にする」「しきりに職場の人を飲みに誘う」が事実上許され、「二日酔いで業務効率低下」「飲酒による傷病で欠勤」「勤務後社内で飲酒」も完全黙認がそれぞれ9%、7%、6%あった。「飲酒行動への寛容さ」の質問21項目の回答を得点にして比べると、大企業が飲酒に最も甘く、従業員200〜299人の事業所がやや厳しかった。
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上手に飲んで出世?
飲酒行動の望ましい在り方を聞いたところ、現状とあまり差がなく、職場での問題意識の欠如をうかがわせた。
一方、飲酒が職場の懇親やストレス解消の手段になっているとされ、商談や接待、社内行事で「断るのが困難な酒席」も多いのが現状だった。事業所別では大企業ほど飲酒機会が増え、酒の効用をより評価する傾向が見られた。
広さんは「企業のトップが飲酒風土を変える意識を持たないといけないが、幹部は上手に飲んで出世してきた人が多く、飲酒問題の深刻さが十分に分かっていない。それだけ酒が根付いており、対策は難しい」とみる。
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厳しさが思いやり
酒浸りの生活で被害が出ているのに、飲むのをやめられないアルコール依存症は「否認の病気」とも呼ばれる。罪悪感はあるが、患者や家族が病気と認めたがらない。酒で欠勤する、出勤後も酒臭い、仕事に支障が出るなどの問題があれば、上司や周囲が指摘していくのがまず必要だ。
職場では飲まない、無理に誘わない、飲み方のひどい人には早めに注意する、大酒飲みを礼賛しない−などのメリハリのきいた対応を、広さんは提案している。職場の健康セミナーでも、がんや成人病について話す際に飲酒の問題にも言及しているという。
アルコール依存症患者の周りには、善意から飲酒を後押ししている「イネイブラー」(飲酒を可能にする人)がいる。夫が酔っぱらって暴れたのに警察や近所に謝りに行ったり、酒代の借金をそっと返したり、一緒に飲んで慰めたりするような人たちだ。その結果、本人は自覚せずに飲み続け、症状は悪化するばかり。
広さんは「日本は職場や家族だけでなく、社会全体がイネイブラーになっている。飲酒の機会を減らして予防すると同時に、依存症の患者には酒を厳しくやめさせるのが思いやりだ」と話している。
(平成8年11月21日付け 高知新聞朝刊)
酒乱の父に悩む
[質問]父と妹の3人で暮らしている27歳のOLです。酒乱の父のことで悩んでいます。56歳になる父は、5年前に母が病気で死んで以来、酒におぼれるようになり、ついには職まで失ってしまいました。再就職をする気もなく、毎日飲んだくれたあげく、競馬・競輪にはまりこみ、退職金や失業保険も使い果たしてしまいました。
母と一緒のころは、家族思いで優しい父でしたので、そのあまりの変わりようについていけなくない、ついに「お酒をやめないのであれば、家を出る」といってしまったのです。父は「生意気だ」と私たちに暴力をふるいました。
妹は、「今すぐ家を出て父とは絶縁しよう」といいます。今住んでいる家は、父と母が共稼ぎでようやく建てたもので、私たちの一家の幸せの象徴でした。妹の考えも分かるのですが、この家を出ることは一家の破滅につながると思うと、長女として軽率なこともできません。やはりもう少し辛抱して、父の改心を待つべきでしょうか。
精神科医に相談を
[回答]家を出るか、出ないかということより、おとうさんの病気(これは、あきらかに心の病気です)を治す努力を、どこまでやったのかしら。
精神科のある病院に、すぐ、おとうさんを連れていってください。もし、おとうさんがいやがるようなら、あなたと妹さんでいって、医者に相談してごらんなさい。
最近は、アルコール依存症を専門に治す病院や医者がいます。精神科の医者なら、その辺の事情をよく知っています。自分のところで治せないと思ったら、適当な病院か医者を紹介してくれるでしょう。あなたと同じように、アルコール依存症に悩む患者や家族の会も、きっと紹介してくれると思います。
在宅で治す方法、入院して治す方法などがありますから、それも相談してごらんなさい。こういう病院は時間がかかることが多いようですが、おとうさんと一緒に頑張ってください。
治りさえすれば家を出るも、出ないもないのだし、家族3人のしあわせは戻ってくるでしょう。精神科をたずねることに、もし心の抵抗があるとしたら、それはあなたの偏見です。 (評論家・俵萌子)
(平成9年2月8日付け 高知新聞朝刊)
サイト開設者注)アルコール依存症は治りません。「治す」という言葉を「回復する」という言葉に置き換えてお読みください。また、精神科医の中には、一般の方以上にアルコール依存症に対する偏見(アル中に酒をやめることなどできない等)をお持ちの方もおられることも事実です。
兵庫県内で仮設住宅に入居する孤独死で、病死者の死因のうち肝疾患が3割に上り、そのほとんどはアルコール依存などに伴う肝硬変だったことが26日、神戸大学医学部の上野易弘・助教授(法医学専攻)の調査で明らかになった。肝疾患による病死の8割は40〜60代の
"働き盛り" の男性。震災で家も職も失い、仮設住宅で暮らす中・壮年男性のアルコール依存傾向が初めてデータで裏付けられたといえ、行政側は対策を迫られそうだ。
上野助教授は監察医で、検視記録(検索書)や各警察署へ照会し、同県内の仮設住宅の単身入居者の病死や事故死、自殺計128件(昨年12月27日現在)を孤独死として調査した。
うち病死は、男性81人、女性30人の計111人。疾患別では、心疾患52人(46.8%)*肝疾患31人(27.9%)*脳血管疾患16人(14.4%)−の順。肝疾患は女性が2人だけであるのに対し、男性は29人で心疾患と並び死因トップ。うち26人が40〜60代。また、男性29人中27人が肝硬変による肝不全か食道静脈りゅう破裂で、19人は大量飲酒者かアルコール依存症だった。
震災前の1994年、神戸市で検視した病死者のうち独居者256人の死因分析調査では、虚血性心疾患は42.2%、アルコール性肝硬変を含むアルコール性肝疾患は14.1%だった。肝疾患は今回の調査の方が約2倍も高くなっている。
上野助教授は「仮設住宅で孤独死した中・壮年男性の4分の3は無職。家を失ったうえに職まで失った人も多く、孤独を紛らわせるためアルコールに頼る傾向が、肝機能低下を加速させ、死を招く。生活再建のための公的支援が必要だ」と指摘している。【土居 和弘】
(平成9年2月27日付け 毎日新聞朝刊)
「心の悩み」をかかえた人がふえています。アダルト・チルドレン(AC)という言葉も広がり、これに関する出版も相次いでいます。
アダルト・チルドレンとはもともと70年代アメリカのアルコール依存症の治療のなかから生まれてきた言葉です。アルコール依存症の親のもとで育ち、おとなになった人のことをいいます。日本でこの言葉が広がりはじめたのは80年代末ごろからです。
これはアルコール・薬物・ギャンブルなどの依存症、過食・拒食、暴力、閉じこもりなどの嗜癖(しへき)という視点がくわわり、その背景にある家族や生き方へのフィールドが広がっていきました。現在は、親との関係で自分が十分にうけとめられている、などの実感がもてないままに成長して、「生きにくさ」を感じている人たちのことをいいます。
愛情という言葉に隠され
親がアルコール依存などの問題を抱えている家庭では、子供は家族を成りたたせるためにもう片方の親の愚痴の聞き役や、家族間の調整役をしたり、ひっそりと「いい子」でいたりします。また、一見何の問題もないような普通の家庭でも、愛情という言葉に隠された親も一方的な期待や価値観に子供の心がしばられるようになると、子供は自分の感情を出せなくなっていきます。
出版されている本は、このような状況を反映して親と子の家族関係のあり方に焦点を当てていることが特徴です。
信田さよ子著『「アダルト・チルドレン」完全理解』(三五館)は、臨床心理士の著者がかかわった事例とともに紹介しています。たとえば、職場での人間関係に行き詰まって休職したOLは、その原因をカウンセリングを通じて気付いていきます。資格の取得と財テクに熱中する勤勉実直な公務員の父親と、それに従い教育熱心な母親のもと、親の期待に添うことばかりで生きてきたこと。それが彼女の「生きにくさ」であることに気付きます。
著者は、ACは自己認知の問題で、事例のOLが感じた「生きにくさ」を認識し、自分らしさをとりもどす出発点とする言葉としてACを意味づけています。
経済優先のひずみから
斎藤学著『アダルト・チルドレンと家族』(学陽書房)は、精神科医の立場から分析し、経済優先社会がもたらすひずみとともにみつめています。精神医学の領域でいうPTSD(心的ストレス障害)の視点を視野に入れたとらえ直しも試みています。
何らかの挫折体験を機に家庭内暴力のような行動をとったり、無力感や抑うつ状態になるなどの精神症状をあらわす人たちの事例をあげています。その背景として、仕事依存で子供のことが念頭にない父親、突然の病気で入退院をくりかえす母親、厳格で冷たい親のいる家庭などがあるとしています。ACを自覚する人のための専門家によるカウンセリングやセルフヘルプ(自助)グループも紹介しています。
大越崇著『アダルトチャイルド物語』(星和書店)も、医師である著者がアルコール依存症の家族や断酒会にかかわってくるなかで、幼少年期の生活環境がおとなになってからも著しい影響をあたえていることを指摘し、西山明著『アダルト・チルドレン』(三五館)は、4人の女性(AC)へのインタビューをかさねながら、彼女たちの理由のない空虚さや現実感のなさを「居場所のない」感覚として浮かびあがらせています。
ACのなりたちを理解するのには、クラウディア・ブラック著『私は、親のようにならない』(斎藤学監訳、誠信書房)もあります。
人生を見つめ直す大切さ
もちろん、「生きにくさ」を感じている人たちすべてをこのACという言葉でとらえるものではないでしょう。けれども、自分にとって「生きにくさ」を感じさせるこの社会の姿をとらえる選択枝の1つとして、ACの見方が現実に共感を広げているのは事実です。自分の人生をもう一度肯定的に見つめ直す大切さに気付かせてくれているのではないでしょうか。
(上岡ひとみ・ソーシャルワーカー・社会福祉士)
(平成9年3月3日付け 赤旗)
この現象が始まってまだ二年も経たない。アダルトチルドレン(AC)ということばに強い関心を示す学生が急に増えだしたのだ。しかも、自分の問題として捉えているのだが、悲観的な深刻さはない。もともとACとは、アルコール依存症の親をかかえるなど機能不全をきたしている家族の子ども達、さまざまな虐待にさらされて育った子ども達をさすことばだ。アメリカ合衆国で、それも医師ではなく、ケースワーカーなどバラメディカルの人たちのジャーゴン(業界符丁)として使われだしたものだ。公式な医学診断基準にはいまだ採用されていない。はたして家族の崩壊なのか。だが、家族の危機が叫ばれるなど今に始まったことではないし、いったいなにが起ころうとしているのか。
精神医学的に解明していくのも重要なアプローチだ。しかし、学生たちを取り巻く文化状況を手がかりに、そのような状況をうみだした社会状況に焦点をあててみたい。個人的なこととしてのみの分析では、ここまで広く高まりつつある関心を解明で
きないからだ。
日本におけるACの提唱者、斎藤学氏は、業田良家氏の連作四コマ痩画『自虐の詩』の主人公森田を典型的なACという。ギャンブルと酒に明け暮れる父子家庭。気に入らなくなると星一徹ばりに卓袱台だけはひっくり返す。手法上、戯画化はされているが、現実離れした物語では決してないというのが斎藤氏の推奨理由だろう。
ノンフィクションなら、マイケル・ギルモア氏の『心臓を貫かれて』を挙げよう。死刑を自ら望む殺人犯の弟が描き出した家族の相克の物語だ。兄ゲイリーの死刑執行は幼児虐待の悲惨さの結末と読める。もう一度、漫画に目をむければ、西原理恵子氏は『ぼくんち』であっけらかんと家族の残酷さを描く。売春する女たち、それにむらがる男たち。子供たちの視点からコミカルに描き出されるが、つげ義春氏が陰鬱なリアリティで描いた世界にも通じる。ホームドラマの「家族神話」などどこの世界、とでも言いたげな力強さだ。
国際家族年に山本直樹氏が捧げた漫画『ありがとう』は「中流」家庭にひそむ崩壊の可能性をえぐり出す。父である鈴木一郎は元ワーカーホリックのサラリーマン。単身赴任の間に家族は実質的に崩壊している。それに気づいた後、「理想の家」を追い求めてもすべてが空回りしていく。「中流」にまで家族の危機が及びだしたのではない。もともと理想的な家族など存在しなかったのだ。父の額に刻み込まれた「LOVE」の文字が、理想と現実の「家族神話」の乖離を嘲笑う。親の過剰な期待も束縛となりACをつくる。ACは珍しいものではない。そして鈴木家の人々も『自虐の詩』の森田も最終的には自分の道をドラマチックなまでに歩み出す。AC自覚のもとのサバイバル、ACをプラスに位置づけ再出発する。ACは母原病ではない。
これは「自分捜し」という流れのひとつの現れといえる。ニーチェのようなインテリならずとも世界を、そして自我を支えてくれる絶対的な「神」がいないことを、私たちはすでに日常感覚として知ってしまっている。日本社会は、そもそも絶対的な神を持たない。私たちの自我を縛り、かつ支えてきたのは、世間、親族、家族と言った社会的な制約、コードだ(これに学校と会社を加えてよいだろう)。これらがときには個人の欲望をおさえるとともに、帰属意識を与えるという形で自我をひそやかに支えてきた。それゆえに差別・抑圧があるにもかかわらず、社会はそれなりに安定性を保ってきたし、「no
future」と絶望の叫びをあげることも抑え込んできた。
しかしこの社会的コードは揺らいでいる。オウム事件以降、森岡正博氏の『宗教なき時代を生きるために』の取り組みにも見られるように、問題はますます顕在化した。家族、学校という社会的コードは、束縛こそしても、すでに無条件にありのままの存在を受け止め支えてくれはしない。たとえ、夫婦にとってお互いに選びとった相手、理想の家庭でも、子どもには、認識している社会的コードがずれた「へんなおじさん、おばさん」ということもある(親への反発すらない、反発すら古きコードだからだ)。愛しているといっても、親の所有物としてだと、子どもは見抜く。アクセサリーのような持ち「物」として重宝されるだけだ。そんなおじさん、おばさんが支えになるはずもなく、また「ベル友」のように自分をかりそめにも求めてくれる人とともにいる方がよほど自己の存在が確かになる。求められるものが何にせよ、である。
世間でもなく家族でもなく、自分自身が自分なりの物語を作るしかない。そう気づいたとき、ACという物語にたどり着く。それは賢明だろう。斎藤氏はあらゆる子どもが心的外傷を負うとまでいう。そこから自分なりの意味を、世界を獲得していくのだ。
ACも仮構された救済の物語かもしれない。神なしに自我がそれ自身で自我を支えなければならない時代に求められるひとつのかりそめの物語なのだ。しかし、それでいいではないか。学校や会社に無理な帰属意識を持ちジレンマに陥るよりも、肥大した自我愛をナショナリズムに投影しその安定をはかるよりも、よほど健康的ではないか。
(竹村洋介 たけむら・ようすけ=聖母女学院短期大学助手、社会学)
(平成9年3月6日付け 毎日新聞朝刊)
朝7時半にインスリン注射。8時にごはん。花に水をやり、畑仕事。酒を飲む暇を作らないようにしています−。
神戸市西区の仮設住宅ふれあいセンターで、今月18日に開かれた断酒会のミーティング。アルコール依存症から、すい臓疾患になり、4カ月間入院、2月に退院したばかりの村山三郎さん(59)=仮名=は、近況を、こう報告した。
毎週金曜日のミーティングには、村山さんと同じような経験をした仮説の住民が集まって、さまざまな打ち明け話をする。
会合にはなるべく顔を出す。食事を取らずに飲み続け、死線をさまよっているのを見つけて病院に運んでくれた保健所の職員への義理立てが半分。残りの半分は同じ酒害を抱える仲間と会えるからだ。
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村山さんは鹿児島県生まれで、1970年ごろ神戸に移り住んだ。妻子があったが20年ほど前に別れ、震災前はポートアイランド内の駐車場で働いていた。
出番だった「当日」は午前5時ごろ目が覚め、同市長田区の自宅の居間で被災した。自宅は全壊し、近くの高校で避難生活を始めた。
「初めは仕事が気になったが、橋を渡れない人工島に車が駐車するわけはない。気を紛らわそうと酒を飲み始めた。酔いが覚めると不安になるから、また飲む。その繰り返しだった」
それまでは軽い晩酌程度だったのが、朝から晩まで際限のない飲酒になった。非難所から西区内の仮設住宅に移った95年末ごろ、酒量は増える一方で、10カ月後には北区の県立病院のベットにいた。居間でも右足に慢性的なしびれがあり、毎朝のインスリン注射が欠かせない。
「孤独にはめっぽう強いつもりでいたが、最近は妻子のことをよく思い出す」
村山さんは、最近、近くのスーパーで園芸肥料を購入し、仮設敷地内で畑を作り始めた。「土を起こし、命を育てながら、自分の命の大切さを学べ」と知人の勧めからだ。その言葉はきれいごと過ぎるとは思うが、「すい臓機能を回復させて、もう一度働くための六十の手習い。野菜づくりリハビリ」にかけてみるともりだ。
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仮設住宅で今も続く孤独死。高齢者ばかりでなく、アルコール依存症に起因する内臓疾患、栄養失調などでなくなった働き盛りの男性も多い。
震災によるストレスが直接的引き金だったとしても、その現状は日本の社会全体に潜むさまざまな矛盾を映し出している。
(因幡 健悦)
(平成9年4月23日付け 毎日新聞朝刊)
阪神大震災の被災者が入居している兵庫県内の仮設住宅での「孤独死」が150人に達したことが、兵庫県警の調べで1日分かった。壮年男性の割合が高く、40−60歳代の男性だけで86人と過半数を占めている。
同県警によると、仮設住宅で一人暮らしの人が死亡した数は、一昨年が46人、昨年は72人。今年も4月までに31人に上った。1日に神戸市須磨区の仮設住宅で55歳の男性の遺体が発見され、150人に達した。
男女別では男性108人、女性42人と男性が3分の2以上。50代33人、70代23人、40代18人などとなっている。
死因は自殺9人、事故死4人で、そのほかは病死。40−60代の男性の病死のうち約3割が、アルコール依存による肝疾患という。
同県内では、現在約34,600戸の仮設に約65,000人が入居。65歳以上の独居だけでも6000人以上いるとされ、県警や各自自治体で巡回するなど、ケアに努めている。
(平成9年5月2日付け 高知新聞夕刊)
| 「私の親」 私のお母さん いつも悲しそうな背中 今のお母さんの背中 |
「私のお母さん、お酒飲むんです・・・」。中学3年の少女(14)が突然ポツリとつぶやいた。母の酒量が少なくないことは彼女の表情から分かった。きっと彼女はそんな母親と一緒にいるのがつらくて、酒やシンナーに走ったのだろう。彼女は今、大阪府柏原市の救護院「府立修徳学院」で生活している。私は非行を繰り返す子どもを親に代わって養育する児童福祉施設である同学院を訪ね、女子寮の少女たち(中学生5人、高校生4人)と2日間、寝食を共にした。いったんは壊れた家族とのきずなを取り戻したいと願うこの少女に、そこで出会った。次の日曜日11日は「母の日」。彼女は母親へ詩を贈る。
【三角 真理】
◆甘えること知らず
先月下旬、私が修徳学院を訪ねたとき、ちょうど健康診断の時間だった。順番を待つ間、彼女は友達にアイドル歌手の歌の振りを教えてもらったり、大きな声で冗談を言い合うなど楽しそうにはしゃいでいた。学校でもよく見る姿だ。
印象的な光景があった。生活の面倒をみている教母さん(42)に彼女が「教母さーん、好きー」と抱きついたりほっぺたにキスをしてふざけていたのだ。相当仲がいいのかな、と思った。しかし、その後、寮長(44)から「母親に甘えるようなことなく育ってきたから、幼児期への退行現象が起きている」と聞いて驚いた。
◆憎んだ酒におぼれ
彼女は5人家族。大阪府内の文化住宅の小さな部屋で育った。母親は、彼女が幼い時から酒浸り。寝ているとき以外はしょうちゅうの瓶を抱えていた。近所付き合いもほとんどない。
彼女が荒れ出したのは2年前の中学1年生のころ。学校にはほとんど行かなくなった。夜はスナックでアルバイト。「年齢は18歳」と偽った。「髪の毛は金色に染めていたし、化粧をしていたからバレなかった」。1日で約1万円の稼ぎ。その中から父と母に「小遣い」も渡した。スナックで稼いだ金と知りながら、母親は「ありがとう」と言って受け取った。金はたばこや酒に使ったようだ。
彼女が、年上の男の部屋に泊まり込んで家に帰らない日が続いた。それでも「”相手の男を好きなら別にええんちゃう”って感じで、お母さんは何も言わなかった」と彼女は言う。彼女は、男の部屋でシンナーを覚え、あれほど嫌っていた酒におぼれた。肝臓も悪くした。
父親は建築現場で朝から深夜まで働いている。彼女に対して「男の家に泊まるようなことはやめた方がいい」とだけ言ったが、非行を止めるだけの強い力とはならなかった。
◆「私の詩、読む?」
少女が、母親について口にするのは酒がらみのことばかりだ。「飲んで欲しくないんです。言ってもやめてくれない」「お母さんは酒飲むと、人格が変わるんです」。言葉遣いは丁寧だが、口調は強い。
半年前、彼女が修徳学院に入る時、母親は泣きながら娘に約束したという。「あんたがここにいる間は、お母さんはお酒は飲まない。たばこも減らすからね」と。入寮後しばらくは頻繁に量に電話をし、寮長に「連れて帰ったらあきませんか?」「泣いてませんか?」と聞いてきた。
母親は1カ月に一度、面会に訪れる。娘より小さい150センチ足らずの体を丸め、会うと涙をポロポロと流す。少女は涙をためながらも、「かあちゃん、酒飲んでへんか?」と確かめる。
彼女が私に「私の詩、読みます?」とノートを見せてくれた。
お母さん いつも酒飲み泣いている
辛いと思う でもくじけるな
◆彼女だけではない
11日、彼女は修徳学院で開かれる「母の日」の式典で、母に詩を贈る。題して「私の親」。
彼女の指導をしている寮長は「母親の酒が彼女を非行に追いやったのだろう。母親も娘を思う気持ちはあったのだろうが、指導する力はなく親子関係は崩れていた。家は、彼女の落ちつけるような状態でなかった」と言い、さらに続けた。
「彼女だけではない。ここにくる非行少女のほとんどは、家に居場所がなく、いろいろな理由で親の愛情を十分受けられなかった子が多いのです」
(平成9年5月8日付け 毎日新聞朝刊)
中央心理研究所所長
山野短大教授
中村廷江さん
少し前、アメリカのクリントン大統領が「自分はアダルト・チルドレンだ」と、告白して話題になりました。最近、このアダルト・チルドレンという言葉がいろいろなところで取り上げられるようになってきました。
大人になっても、精神的に成長できず子供っぽい人のことを指す言葉と誤解している人がいますが、そうではありません。もともとは、アルコール依存症の親の元で育った子供が、大人になった状態のことを言っていました。これが広がり、アルコールだけでなく、薬物中毒の親や、健全に機能していない家族の中で育った人のことも含むようになりました。
酒や麻薬などにおぽれる人は、その背景に精神の不安定さや性格的なゆがみが隠されています。家族としての機能が働いていない中で育った子供は、心に深い傷を負ったまま成長します。こうした子供は大人になっても、社会的に適応しにくかったり、いきいきと楽しい毎日を過ごすことが難しくなります。
機能不全家族というと、おおげさに聞こえますが、家庭内別居、成績でしか評価しない、兄弟姉妹を比較する、嫁姑の仲が悪い家族、なども含めて考えています。幼い時から、自分の存在を確認するため、子供たちは常にある役割をとり続けなければならないのです。人によって、その生き残りの仕方も異なります。
「家庭内ヒーロー」と言われる人は、勉強やスポーツなどを死に物狂いで頑張り、優秀な子供として、家族の中に存在します。クリントン大統領は、アルコール依存症の義父を持つ家族の中で育ち、学生時代から勉強、スポーツに大活躍してきました。このことで家族を目立たせようとしていたのでしょう。彼の場合はそのまま頑張り続け、社会的には成功しましたが、いまだに、どこかに生き難さを感じているからこそ、アダルト・チルドレンであることを告白したのかもしれません。
このほかの役割としては、家族の硬直した関係を打ち砕こうとするため、両親の前でおどけたり、ふざけたりする「道化者」や、酔っばらった父親の面倒をみたり、両親の仲をとりもとうとする「世話役」などがあります。また、暴走族や性的逸脱行為などの問題によって、親の目をひこうとする「問題児」や、これとは逆に、両親に拒否されるのが怖いあまり、壁のように目立たない存在になる「いなくなった人」などによって、自分を表現しようとする人などがあげられます。
【聞き書き・小川 節子】
(平成9年6月30日付け 毎日新聞朝刊)
中央心理研究所所長
山野短大教授
中村廷江さん
成績や学歴、お金、仕事が重視され、それらによってのみ評価を下す家族、他人の
目ばかりを気にする家族、夫婦仲が悪くけんかの絶えることがない家族といったよう
な「機能不全家族」の中で心の傷を負って育った子供は、大人になっても、その精神
的傷はいやされることなく残ります。
いきいきとした子供時代を送っていないと、本当の自分を発揮することができず、
成長しても生き難さを感じてしまいます。こうしたアダルト・チルドレンが最近、い
ろいろなところで問題になってきています。
アダルト・チルドレンの生き難さの症状として、拒食と過食を繰り返す摂食障害や
嗜癖(しへき)、自室に閉じこもる人格障害などが出る場合もあります。 自分の存在の証明として、必死で勉強をし続けていた子供が大学生、社会人になっ
たとたん、生きる目標を見失い脱落するケースも見受けられます。また、こうした人
の中には、休みなしで深夜遅くまで働くワーカホリックになってしまう人もいます。
いるのかいないのか、分からない存在としてふるまっていた人は、ひどい場合、自
殺にまで至ることもあります。社会に出ていったとしても、すべての場面から逃げよ
う、隠れようとしがちです。ささいなことから、閉じこもりに向かうことも多いよう
です。
家族の緊迫した雰囲気をなんとかしようと、道化者を演じていた子供は、学校や職
場の中の潤滑油的な存在になることがあります。会合やコンパなどの席では「あいつ
に任せておけば、場は盛り上がる」という役目を演じていることがありますが、実は
本人にとってこれが強いストレスになり、病気にまでなることがあります。周囲に適
応し楽しく暮らしているようにみえますが、実際はそれが苦痛になっていることもあ
るのです。
親の世話役を一身に背負っていた人は大きくなっても、周囲に気を使い過ぎ、自分
を出すことができません。ひたすら自分を犠牲にすることで、人から嫌われないよう
にしようと、そればかり考えて行動する傾向が強いようです。
このように、家族の中の問題から、成長してもさまざまな問題を抱え込んでいる人
は、少なくありません。生き残るために、さまざまな役割を演じていますが、精神的
抑圧が体の症状として出てくることもあります。
アダルト・チルドレンにならないように健全に機能した家族の中で子供を育てたい
ものです。
【聞き書き・小川節子】
(平成9年7月6日付け 毎日新聞朝刊)
高知県断酒連合会会長 小林 哲夫 (高知市五台山2698-2)
「病気は財産である」。この表題につきましては、「私の場合に限って」という条件をつけます。
私は三十三歳で断酒会に入って酒をやめましたが、その五年後、妻が癌(がん)になりました。
私は自らを徹底的に責めました。
理由は、それまでの五年間、私は典型的なドライアルコホリック(酒を飲んでいないだけのアル中)でしかなかったので、それが原因で苦労を重ねていた妻は発病したのだ、と思ったからです。
妻は早期癌で完治しましたが、それを契機に私は自分を変える努力を始めました。自己改革のきっかけが妻の病気であったということは、あまり褒められた話ではありませんが、私にとっては大きな収穫でした。
断酒して十数年たったころ、病跡学者の米倉育男が、本県出身の田中英光の評論の中で、「アル中は死を重ねる」と書いてあるのが目に留まりました。
アルコールや薬物依存症者は最初に心が死に、次いで体が死ぬという意味ですが、それなら自分の場合はどう表現すればよいのか、と瞬間思いつきました。しばらく考えた後、「アル中は死を重ね、断酒会員は二度生きる」という言葉が浮かんできました。
私も田中英光同様、酔いで得た虚の世界でしか生きていなかったのが、断酒会で正気を取り戻すことで新しい人生が始まり、しかも、過去の洒害体験を新しい生き方の糧にしているのです。つまり、まったく異なった二つの人生を生きてこられたのは、アルコール依存症という病気を経験したおかげだ、と言えるのです。
全国各地の断酒会にはいろいろな人間がおり、さまざまな出会いがあります。メンバーは国会議員やホームレスや多士済々です。そして、お互いが平等な立場で援助し合い、支え合う仲間であるからこそ断酒が可能になります。つまり、断酒会はノーマライゼーションの実践団体なのです。
また、支え合うということは、よりよく生きるための相互作用を意味します。お互いに刺激し合うことで自らの潜在能力を発掘したり、可能性に挑戦します。だから、病気だけでは財産とは言えず、こうした人たちとの出会いを通して初めて、私はアルコール依存症という病気を財産と言っているのです。
つい四、五日前、私はKクリニックで胃癌の告知を受けました。手術する病院を紹介してくれているY医師に、「十一月九日の熊本の全国大会に間に合いますか」と質問しますと、Y医師は少し驚いたようでした。癌の手術より断酒会の大会の方を気にしている患者は、かなり不思議な存在だったのでしょう。それでも、「早期癌だから、何とかなるかもしれません」と彼は言ってくれました。
紹介先のC病院のH医師に同じ質問をしますと、「奥さん同伴なら行ってもいいですよ」と、明りょうな答えが返ってきました。話がうま過ぎますので、今度は私が驚きました。
ところが、私にとって感動的な裏があったのです。妻と息子の嫁の話によりますと、Y医師が私の大会参加のことをH医師に依頼し、H医師が何とかする、とY医師に回答していたとのことでした。
アルコール依存症と関係のない内科医と外科医が、私の願望に誠意で応(こた)えてくれていたのです。全国から集まる仲間たちに何とか会いたいという私の気持ちを、二人は私の目の色から感じ取っていたのでしょう。
私は明日入院しますが、胃癌という病気もこの二人の医師との出会いによって、私の新しい財産になるような予感がしています。
(平成9年10月8日付け 高知新聞朝刊)
「飲酒運転をした県職員は何らかの形でやめていただく」。橋本知事が先の県議会で、自覚に欠ける職員に久々の
"大なた" を振るった。酒宴の別れ際には「運転はせられんぜ」があいさつ代わりに。インパクトは大きい。
全国に名だたる酒の国。アルコール消費量の多い分、依存症に悩む患者も少なくない。断酒運動の発祥地でもある。酒好きの県民性を反映し、酒の席での出来事には寛容であるというのが通り相場だ。
ある夜、街で飲んだ後、所用で県庁まで戻ったときのこと。タクシーに乗って「県庁」と告げると、運転手は「気をつけて下さいね。今夜は(検問を)やってますよ」とご丁寧にも気を回してくれた。
別の夜。記者会見で遅くまで居残っていた同僚が、県庁の駐車場を出て間もなくのところで車をパトカーに止められた。県庁周辺は摘発の適地、と警察官の目に映っているのかもしれない。
さらにもう一つ、場所は約2キロ離れた県民体育館。はし拳大会が行われている会場の駐車場はどういうわけかいっぱい。選手の車と言っているわけではない。大会の関係者や付き添い、観客の車だと思うが、ちょっと気になった。
1年前、「飲酒運転の実験」を教習所で取材した。ほんのりとほおを染めた人から大トラ状態の人までハンドルを握った結果、コース途中で突然飛び出すダミー人形は、軒並みはねられていた。
「本当に県職員は戦々恐々としているのか。だとしたら、それこそ問題だ」。発言のリアクションの大きさに、知事自身は驚いている。飲酒運転はごく一部の不心得者の仕業と割り切っていれば、今更免職を恐れる必要はないからだ。法に基づいて仕事するのが公務員、のはずである。
(平成9年10月16日付け 読売新聞朝刊高知県版)
公務員品川達夫さん(53)=仮名=は、アルコール依存症と診断されてからは断酒を続けているが、どうにも忘れかねていることがある。3年前の夏、飲み過ぎがたたり、肝硬変で3カ月間、内科に入院したときのことだ。
「もう一生飲めない?」と聞くと、医師は「コップに一、二杯ぐらいなら」と言った。それは「飲める体に治してもらった」と聞こえた。「自分では断酒するまで依存症とは思っていなかったし、内科で酒の問題は指摘されなかったから、『ああまた飲める』という感じでした」
退院後は午後5時になると職場近くの酒の自販機に走り、やがて夜中に台所のみりんまで飲む。大小便の垂れ流しも始まった――。
最初に酒量が増え始めたのは10年前。係長昇進がきっかけだった。気負いと責任感、土木関連の部署で対外折衝も多い。毎日外で飲み、帰宅後もビール1リットルは飲む生活が始まった。妻(50)が心配して酒を置かなくなると、公園や納屋で隠れ酒を始めた。
飲んでも静かだし、職場健診の前は2週間だけ酒をやめたからひっかからなかった。元々、昼間から酒のにおいをさせる人もいたので、周囲は気づかなかった。紙パンツをはいてでも出勤は続けた。妻も「依存症はうちには関係のない病気」と思い込んでいた。
二年前、再び肝臓を病んで入院。連絡用に渡したテレホンカードを同室の患者に売って酒を買う姿に、妻はようやく依存症と確信。専門の精神病院に入院させた。
ある患者は、依存症と診断されるまでの4年間に様々な病院で計20の病名をつけられた。高血圧、糖尿病、慢性腎不全、狭心症……。内科医の下す、こうした診断名が依存症の「隠れみの」になっているのが現状だ。
「一般病院に入院する男性の4分の1には飲酒問題があるという報告もある。私たちの調査では、一般病院への初回入院からアルコール専門の治療機関に到達するまで平均7.4年もかかってます。早期発見は内科医がカギです」と三重県立高茶屋病院アルコール担当医長の猪野亜朗さんはいう。
内科医らとのネットワークを模索した猪野さんは、三重大学病院や地域の総合病院の協力を得て昨年2月、「県アルコール関連疾患研究会」をはじめ、成果も出だした。昨年2月から1年間に高茶屋病院に来院した依存症患者194人のうち、58人(約3割)が内科医からの紹介だった。5年前には1割にも満たなかった。猪野さんは「地域全体で認識を高めていけば、患者も回復のきっかけをつかみやすくなると思います」と話す。
大阪市西淀川区にある内科中心の西淀病院(258床)。内科医の赤路英世さんは「依存症の患者は酒飲んで臓器壊して、治すとまた飲んできて入院。言うことは聞かんし、正直、迷惑だと感じていた。だから9年前、近くに精神科クリニックができて患者を受け入れると言われた時はありがたかった。どんどん送りましたよ」と笑う。
当初はそんな認識だったが、「どうせだめ」と思っていた患者が次々と回復していく姿を見て、西淀病院のスタッフたちの見方も変わった。アルコール専門医を招いて勉強会を開き、断酒会にも顔を出すようになった。
1992年5月からは月に2回、院内の患者向けに講座を開いて、依存症がどんな病気かを説明、断酒会会員の体験談も聞いてもらい、専門治療を受けるきっかけを作っている。
「簡単ではないが、『回復できる病気』といまは確信しています。院内スタッフの意思統一が大切だと思います」と赤路さん。
大阪府では94年11月に赤路さんのような内科医と精神科医38人が「アルコール関連内科疾患と依存の研究会」を発足させ、地域ネットワーク作りを模索している。だが、西淀病院のようなケースはまだ例外だ。
研究会の世話人で大阪精神医学研究所理事長の今道裕之さんは「大都市では医師の数も多く、まとまるのが難しい。一部の内科の認識が高くても、そうでない医師が多ければ患者は楽な方を“選ぶ”。だから地域全体での取り組みが大切。医学部で依存症の治療法をほとんど教えない現状が最大の問題です」と指摘している。
◇
国内で240万人と推定される依存症患者のうち、治療の中心になる精神科で入院治療を受けている人は1%に満たず、多くは依存症と診断されぬまま、肝硬変などで亡くなっているという。そんな“隠れ依存症”患者を早期にみつけて治す試みも始まった。最近の動きを紹介する。(星野哲)
【写真説明】
おっと危ない千鳥足。忘年会シーズンは、こんな光景も少なくない=キリンビール制作のビデオ「未成年者とアルコール」の一場面から
(平成9年12月20日付け 朝日新聞朝刊)
夜9時。ポワンポワーンと物寂しい鉄琴の音が、病棟の長い廊下に響く。旧日本軍の消灯ラッパのメロディーだ。国立療養所久里浜病院(神奈川県横須賀市)にあるアルコール専門病棟。鉄筋で減灯を知らせて回る当直の患者に、テレビを見ていた患者が「お疲れさん」と声をかけた。
「依存症は治らない」といわれた時代に考案された同院の入院治療法は「久里浜方式」と呼ばれ、多くの回復者を生んできた。入院期間は一律3カ月。患者は自治会を作り、朝5時の起床から夜10時の消灯まで日課を協力しながらこなす。月に一度、全員で地元の三浦半島や対岸の房総半島を5キロほど歩く「行軍」もある。
同院は、アルコール専門治療をする国の基幹病院として、全国の医師や看護婦らを対象に依存症の研修を実施し、過去3000人以上が受講。多くの病院がこれに似た治療法を導入してきた。だが、「自治会が医師と対立して治療効果が上がらないこともある」「入院期間が一律なのは不合理」「行軍など時代に合わない」。こんな批判も一部に出てきた。
名誉院長の河野裕明さんは、作家のなだいなださんらとともに30年以上前に久里浜方式を編み出した生みの親だ。「依存症は生活習慣病で、回復はそう簡単ではない。入院は、断酒して生活習慣を変える訓練期間にすぎない。久里浜方式の神髄は患者の人権中心の考え方であり、治療法は時代とともに見直されるべきだと思う」と語る。
かつて患者の多くはブルーカラーだったが、最近の同院の外来受診患者の4分の1はホワイトカラーや主婦、学生。近年は、退院後1年間断酒を続ける率が、3割をなかなか越えないのが悩みだ。退院後1年ごとに患者の約4%が亡くなり、10年後には生存率が6割を切ってしまう。
4月に院長になった白倉克之さんも「背景が多様化し、入院しての集団治療が合わない患者もいる。人により、早めに通院に切り替えるなどの見直しは不可欠です。そして何より予防と、重傷化する前の早期発見に力を入れないと回復は難しい」という。
同院は依存症になる前の「プレアルコホリック」段階での治療も実験的に始めている。大量飲酒の問題はあるが、幻覚は経験していないなどの症状の人が対象だ。「依存症という山頂に行ってしまう前に、中腹で引き返してもらう」と臨床研究部長の樋口進さんは狙いを語る。「依存症に至ると家族関係は崩れ、社会的地位も失い、断酒しても回復に膨大なエネルギーが必要なことが多い。失ったものが少ない段階でならより回復しやすいはず」
プログラムはまず、6カ月間の断酒をめざす。入院はせず、週1回2時間のミーティングに月に一度以上は参加してもらう。そこで患者どうしが近況を話したり、医師がアドバイスしたりする。
首都圏に住む自営業男性(50)は、今年3月からプログラムを受け始めた。景気が悪くなり赤字続き。あれこれ考えると寝付けず、毎晩飲んだ。量を増やさないと眠れなくなり、翌日は二日酔い。血糖値などは正常で、近所の内科医には「大丈夫」と言われたが、「アル中になるんじゃないか」と心配してきたのだ。
最初、6カ月の断酒は無理だ、と思った。だが、ミーティングで他の参加者が、つい飲んでしまったことを下手な言い訳をしながら話す姿が妙におかしくて、「自分の姿だ」と断酒を決意した。
取引先と飲み会でも「いまドクターストップだから」で通し、「やればできる」という自信がついた。半年後、医師と相談して、仕事関係の酒席では少しだけ飲むことにした。心の支えにと、いまも月に2回程度、ミーティングには妻と参加している。
体験者はまだ少ないが、1992年4月のプログラム開始から2年間に受診した32人中、連絡のとれた22人のうち、断酒継続者は11人いた。残り11人も飲酒頻度が受診前の月平均21.9回から4.3回に減り、飲酒量も10分の1程度に減っていた。
樋口さんは「こうした治療は専門病院よりも、プレアルコホリックが多いはずの職場や総合病院で実施するのが一番だと思う。また模索の段階だが、そうしたところでもできるよう治療の原則を確立したい」と話している。
【写真説明】
起床や減灯を告げる手作りの鉄筋。当番がこれを鳴らしながら廊下を歩く=神奈川県横須賀市の国立療養所久里浜病院で
(平成9年12月21日付け 朝日新聞朝刊)
30代の元貿易商社員。昼間も飲酒しはじめて、ついに退社。家でも酔って上司の名を叫びながら、父親に暴力をふるう。困りはてた家族が保健所に相談し、8月から東京都内の繁華街にある精神科クリニックに通っている。
まず週5日の診療とあわせて、週1回のデイケアで依存症について勉強した。「飲んでいるころから、自分への嫌悪感があった。あらためて依存症のことを知り、本気でやめようと思いました」と話す。いまは断酒し、デイケアを自分で週3回に増やした。立ち直ろうとする患者らでつくる自助グループにも参加し、区の作業所に通って仕事の技術を身につける勉強を始めた。
このクリニックのソーシャルワーカーは「無理をせず、患者の状態に合わせて点から線、そして面へという具合に地域社会とかかわってもらう。デイケアはそのためのステップです」という。
依存症治療に精神科医は欠かせない。だが、精神病院は郊外にあることが多く、気軽に通うには、まだ世間の偏見も根強い。このため都市部に多い精神科クリニック(診療所)に期待が寄せられている。病院と違って入院設備がないので、診察と並行して日中のデイケアや夜間のナイトケアに通い、集団療法を受けるのが治療の中心になる。
厚生省はそうした精神科デイケア施設を2002年度までに1000カ所にする目標を立てており、実際に、1992年には246カ所だった施設が、96年には570カ所に増えた。しかし、クリニックの「質」は様々だ。
東京都内の別の精神科クリニックを訪ねた。地上6階、地下1階建ての建物の2階が依存症患者のディ・ナイトケアを行うための専門フロア。プログラムには「酒害体験発表」とあったが、60人ほどの患者が、生活習慣についての教育ビデオを静かに眺めていた。
院長の話では、午前10時から午後8時までのデイ・ナイトケアに、3年間通い続けている患者もいる。朝の来院前に酒を飲んでしまわないよう保健所と福祉事務所に立ち寄らせ、証拠としてハンコを押してもらうようにしている。徹底した管理だ。
院長は「治療はきれいごとではすまない。患者もピンからキリまで。断酒会で断酒を続ける人はいわばエリートで、ほとんどの人は医者から離れると飲んでしまう。飲めないここで、しばらく生活管理をすることが回復になるんです」と言う。
だが、全日本断酒連盟の小林哲夫・副理事長はそうしたデイケア通いを危ぶむ。「断酒して社会生活に復帰しながら、人間としての尊厳を取り戻すのが回復なのに、生活保護に頼って働こうとしなかったり、単に居場所があるので通うというのでは“デイケア依存症”を生むだけ。自立の精神は育たない」
数年前まで約750人だった東京断酒新生会の会員はいま約650人に減った。朝から晩までクリニックにいて、自助グループにつながらない患者が増えたのも一因との見方がある。
大阪市の新阿武山クリニックの平野建二所長も「最終的には自助グループに入らないと回復は難しい。医療者の役割は、患者が、そこへつながるのを手伝うこと。プログラムは3カ月が1つの目安だと思います」と話す。
デイケア施設増加の背景には、高い診療報酬があるといわれる。施設規模で差があるが、精神科のデイケアは1人1日あたり660点(1点10円)で、デイ・ナイトケアだと1000点。厚生省は「患者1人あたり4平方メートルが標準」など施設基準は設けているが、どんな治療をどの程度の期間するかの基準はない。
「断酒会を院内で開いてもらい、医者やスタッフは顔も出さず、それでも『治療指導した』と保険請求する。そんなケースもあります」と都内のあるクリニックのソーシャルワーカーは言う。
厚生省精神保健福祉課は「デイケアのプログラム内容の実態調査や、基準作りはいまのところ考えていない」としている。
【写真説明】
依存症からの回復の第一歩は断酒。アルコール入院病棟に高く掲げられた断酒の誓い=神奈川県横須賀市の国立療養所久里浜病院で
(平成9年12月22日付け 朝日新聞朝刊)
「酒による失敗を他人のせいにしたり、それを理由にまた飲んだり――」。篠置昭男・関西女子短大学長の軽快な講演に、笑いがもれた。
大手化学品メーカー「ライオン」大阪本店(大阪市)は、この10月に社員向けの講座「単身赴任者の身体―アルコールなしでは生きていけない?」を開いた。
つい酒量が増えがちな単身赴任者に、病気にならない程度にお酒を楽しんでもらおうと、ソムリエを招き、ワインを飲みながら味わい方も学んだ。同社から健康相談を受けている「医療法人あけぼの会メンタルヘルスセンター」の企画だ。
同センターは、こうした単発企画とは別に、企業の従業員援助プログラム(EAP)も実施している。問題飲酒がある従業員について企業の健康管理室などが相談を受けてから専門治療期間につなげるまでの一連のシステムとして行う。米国で普及したプログラムだ。
現在、大手を中心に10社前後のEAPを受け持っているが、「最初に『会社には秘密ですね』と確かめる人がほとんど。心の病への偏見がまだ強いですね。企業の外の医療機関だから気楽に利用してもらえる面はあると思います」と臨床心理士の長見まき子さんはいう。
東京都庁は「アルコール問題対策プロジェクトチーム」(PT)を2年前に発足させて、職員向けのEAPを導入した。問題がある職員と上司、家族がそれぞれとPTが個別面談して問題点を整理。その後、全員で本人を囲み、治療を勧める。強制力はないが、家族と上司が一緒にいることで、問題の重大さを認識させる効果があるという。
「導入前は、医師が治療を勧めても、次回健診に来なくなったりで、うまくいかなかった。ポイントは、上司が依存症のことをきちんと認識しているかどうかです」と都健康管理課の湯浅誠さん。
同課は、管理職向けに2日間で計12時間の講習会を開き、依存症の兆候の見分け方を教える。肝機能などに問題がある職員に依存症のことを教える半日のアルコール教室も実施して、EAPへの理解を広めている。
酒害の広がりと影響は、想像以上に大きい。
日本鋼管病院鶴見保健センター長の廣尚典さんが1995年春、神奈川、京都など5府県の製造業など51事業所に聞いたアンケートでは、過去5年間に飲酒に伴う交通事故やけが、病気をした従業員がいる事業所は半数近くあった。
また、厚生省が93年に監修した「アルコール白書」では、飲み過ぎによる医療費などの社会的損失は年間7兆円近く。うち生産性の低下が4兆4000億円にのぼる。企業にとっても大きな損失なのだ。
廣さんは「日本の企業は内部で健康管理としてきた土壌があり、問題飲酒者を早期に治療に結びつけられる立場にいます。問題意識を持てば簡単にEAPは導入できるはず。企業にとっても大きなメリットなんです」と訴える。
EAPを導入している企業の中には、91年から始めた三菱重工神戸造船所のように「当初は依存症に力を入れ、いまは一段落している」というところもある。だが、「EAPはあるが、心の悩みに対処するもの。アルコールは関係ない」として取材を拒否したり企業名の公表を拒んだりする企業もあった。都庁もEAPの利用者数は公表していない。ある企業のEAPにかかわるカウンセラーは、社名や業種を変えたり伏せたりしてやっと学会発表についての同意を得たという。
アルコール問題に取り組む市民運動から生まれた会社「アスク・ヒューマン・ケア」で、企業にEAPの導入指導をしてきた水澤都加佐・研修相談室長は、そんな企業心理を患者の心理になぞらえて批判する。
「依存症の特色は『自分には飲酒問題はない』と問題を否認することです。企業も、企業イメージが下がるのを恐れて、問題そのものをないと考えたがる。こうした態度が逆に依存症への偏見を助長し、過度に酒に寛容な職場を生み出してしまうんです」
【写真説明】
専門外来では消毒用アルコールの代わりに「ヒビテン液」を使う。飲んでいないかどうかを、アルコール臭で判断するためだ=神奈川県横須賀市の国立療養所久里浜病院で
(平成9年12月23日付け 朝日新聞朝刊)
食い入るようにみつめる中学2年生を前に、愛知県岡崎市の建築士、杉江昌夫さん
(40)は静かに語った。「大小便を垂れ流しながらも飲み続ける私を、おやじが殺そうとしたこともある。私も自分さえいなくなれば皆幸せになれると思い、自殺をはかりました」
飲酒の低年齢化が進み、文部省は中学、高校で飲酒について教育するよう1989年に指導要領で明記。一昨年には、中学向け「指導の手引」を作った。愛知県豊田市立石野中学は93年に健康教育のモデル校に指定されたのを機にアルコール教育を始め、生徒は3年間で計6時間の授業を受ける。杉江さんの体験談もそのひとこまだ。
「今は酒をやめているという誇りもありますが、何より依存症のことを多くの人に知ってもらいたい。特に若い時の飲酒が何をもたらすかを知ってほしい」と杉江さん。
杉江さんは小学二年のとき、祭りで親類に飲まされたのがきっかけで飲酒を始めた。「気持ちいい」。強烈な印象だった。父親も「飲み方を教えてやる」と時折、酒を飲ませた。中学のころにはウイスキーをあおり、高校生になると父親と晩酌。それでも足りずに夜中、自動販売機で仕入れた。大学では飲まないと手が震えるようになった。
23歳で結婚。子も生まれたが、飲酒はひどくなる一方。25歳までにアルコール性肝炎で内科に7回入院した。精神病院に入ったが、退院後すぐ再飲酒。手首を切り、自殺をはかった。
その後も入退院をくり返したが、27歳で断酒会に入ってやっと酒を断った。断酒がつらくて再び自殺を図ったこともあるが、いまは家族の支えもあり断酒を続ける。
そんな体験談を聞く子供たちの反応は真剣で、「大人の人がなぜ秘密にしたいようなことを話せるのですか?」といった手紙も来た。だが、教室の後ろで聞いていた父母の中には違う反応もあった。
「酒は必要なものだし、アル中なんて特殊な人の病気だろうという感じ。冷ややかなんです。親が問題を意識しないと効果が半減するんですが」と杉江さんは残念そうだ。
指導要領での規定はないが、小学校でも予防教育に取り組むところもある。
東京都世田谷区立船橋小学校(野田照彦校長)は、今年初めて、6年生の授業で飲酒問題を取り上げた。11月20日、6年2組の教室。養護教諭の野本英子さんが、酒を飲んだことがある人と尋ねると36人のうち30人ほどが手を挙げた。
授業の目玉は「ロールプレー」。同じ塾に通う3人組が帰宅途中、1人が自動販売機で酒を買い、もう1人と「気持ちよくなる。飲もうぜ」と残りの1人を誘う。誘われた子はどう応答するか――。
6人の班ごとに分かれて話し合った子どもたちの答えは様々。「家に親類が来ていて帰らないといけないから」などと断る子もいたが、「健康に悪いからやめようよ」「付き合い悪いな」と声をかけられると「少しぐらいならいいか」……。仲間外れを恐れる応答も目立った。
「わざわざ教えて寝た子を起こす必要があるのか、という声も聞きますが、いまの子供はCMなどで中途半端に知識がある。正しい知識を教えてじょうずに起こすことが必要です」と野本さんは言う。
悩みは授業時間の少なさ。やりくりしても1時間が精いっぱい。文部省も現場
の工夫にげたをあずけている。
飲酒開始が早いほど依存症になる確率が高くなると、専門家は口をそろえる。
市民団体「アルコール問題全国市民協会(ASK)」代表の今成知美さんは「予防教育は大切だと思います。しかし、酒のCMが野放しの社会状況はそのままだし、害を教える時間が少な過ぎる。フライパンの上に子供をのせて、火は弱めずに、教育という水を上から数滴垂らしているようなものだと思います」と話している。(星野哲)
【写真説明】 実際の場面を想定して、子供たちに酒の誘いをどう断るかを考えさせる授業の一場面=東京都世田谷区立船橋小学校で
(平成9年12月24日付け 朝日新聞朝刊)
主婦のアルコール依存症による急死が増えている
と警鐘を鳴らす京都府立医大法医学教室教授
安原 正博(やすはら まさひろ)さん
)))))変死体から現代の病巣がわかる
「飲酒が原因で死亡した女性の4割が主婦でした」
東京23区内で1年間に発生する変死体は約1万体。そのうちの200体ほどを検案しているが、アルコール中毒で死亡する女性が少しずつ増えている。そう実感して調べた成果が「女性大酒家急死の実態」という研究。その内容には驚くことばかり。例えば、日本酒に換算して毎日5合以上のアルコールを飲み統け、それが原因で死亡した人は一昨年度が23区内で840人。そのうち70人が女性だった。
総数では圧倒的に男性が多いが、その8割強は単身生活者、職業別では3割が無職。すさんだ生活の救いを洒に求める……といった昔ながらのパターンが目に浮かぶ。ところが、女性は違う。同居家族がいる中高年の主婦が、自宅で死亡するケースが目立つ。「びっくりしました。家庭内でだれにも言えない悩みを持ち、隠れて飲んでいるうちにアルコール依存症になるのでしょうね」
専門は神経内科。鹿児島大時代、脳をウイルスに侵される難病と闘う少女を担当。治療法も見付からぬまま、死をみとったことが医師としての方向を決めた。脳の病理研究のため病死体とかかわるうちに、解剖と研究に打ち込める法医学へと転身した。
「腐乱した死体は実にひどい。精神は何ともろいものの上に立っているのか、人間の尊厳はどこにあるのか、と思います。そうなる前に解剖するのも、我々の務めです」
物静かな学究肌。が、肝臓検査の数値を気にしながらも焼酎の晩酌を欠かさない。「飲まなければできない仕事なのです」
鹿児島県生まれ。鹿児島大医学部卒。都立監察医務院医師を経て現職。53歳。
文と写真
社会部・小野 博宣
(平成10年1月29日付け 毎日新聞朝刊)
震災の1年後ぐらいから、アルコール依存症がメディアで取りあげられることが多くなった。注目されたのは仮設住宅における依存症者の姿であり、中でも「孤独死」だった。
仮設住宅における孤独死は、現在までに200人近<にのぼる。何人かの医師や研究者がデータをまとめているが、緒論はおおむね共通している。孤独死は5、60代の比較的若い男性が多<、大半が肝障害などで医者にかかっていた。仮設住宅の孤独死の少なくとも30%は、アルコール依存症であろうと推測されている。
アルコール依存症はそれ自体、生命予後の悪い病気である。死亡時の平均年齢が、50歳前後という報告もある。また離婚や失職など、人間関係が壊されていくこと
が多く、病の進行とともに社会から孤立していく。アルコール依存症者にとって「孤独死」は、以前から比較的ありふれた最期であった。仮設住宅におけるアルコール依存症の集中、悪化、そして死亡という厳然たる事実があるにもかかわらず、本当に重たいのは、それが震災後の特殊な現実ではないということだ。
一方、米国などでは1970年代以降の災害と精神障害に関するいくつかの研究で、災害後のアルコール乱用の増加が報告されており、災害時のアルコールには厳し
い目が向けられている。
災害ストレスに関するマニュアルの多くには「アルコールでストレスを紛らすことのないように」と書かれている。災害時の避難所では、飲酒禁止は、当然だと考えられている。95年のロサンゼルス地震では、被災地での(度数の強い)蒸留酒の販売自粛が、呼びかけられた。
これと対照的に、日本の国税庁は震災の直後に、被災者に酒を供給すべく、スーバーやコンビニのために臨時の洒販免許を発行した。そして救援物資には大量のアルコール飲料が含まれていた。
阪神淡路大震災では、アルコールという「危険な薬」をもってする被災者の「こころのケア」が大いに推奨されたといえる。米国の災害関係者たちは、「信じられない」と驚いていた。
3年前の震災のためにアルコール問題がより深刻になったのかというと、その確証はまだない。結論が出せるのはもう少し先のことだろう。
被災地の全般的ストレスの増大が人々の飲酒を促進することは容易に推測できる。アンケートなどで、震災後飲酒量が増えたと答えた人は多い。PTSD(心的外傷後ストレス障害)に伴うアルコール乱用のケースも知られているし、震災後の生活変化をきっかけに常習的な飲酒に陥った人も多いだろう。
しかしアルコール依存症は通常、10年以上の長期の大量飲酒の結果発症する慢性疾患である。その意味では、今までに仮設住宅で話題になったアルコール依存症は、災の以前から飲酒問題を抱えていた人々であると言える。震災をきっかけとした飲酒問題の影響は、今後長期にわたって現れ続ける可能性もある。
震災前、アルコール依存症者の死が、多くの人の注意を引くことはなかった。被災地の外では、今でもそうである。この点では震災後の人々の新しい関係は画期的でさえある。ボランティアや「こころのケア」と並んで、アルコール依存症が初めて認知されたと言ってよいかもしれない。
震災後、ボランティアであれ行政であれメディアであれ、多くの人々が被災者の生活にふれることになった。そこで発見したもののひとつが、アルコール依存症であった。依存症者の飲酒行動に過剰で無用な共感を示すこともあったが、多<の場合、依存症者の生活と生存の危うさを、碓認したことだろう。
震災の影響の有無にかかわらずアルコール依存症が、公衆衛生上の重要な課題であることに変わりはない。被災地の経験は、幅広い人々がこの課題に取り組むことを可能にしてくれるかもしれない。しかしそれは病気としてのアルコール依存症という認識に裏打ちされたものでなけれはならない。
きっかけは依存症者の死かもしれない。だが、情緒的な反応にとどまらず、依存症者の生活から予防や早期の治療まで視野に入れた包括的な対策を作り上げることが被災地の課題ではないだろうか。
(おわり)
麻生 克郎
兵庫県立精神保健福祉センター課長
あそう・かつろう 1952年、大分県生まれ。80年、神戸大学医学部卒業。同大学医学部精神神経科、兵庫県立光風病院を経て、93年から現職。阪神大震災では、精神科救護所のコーディネーターをした。
(平成10年2月13日付け 朝日新聞朝刊)
「アルコール問題を考えよう会・かがわ(AKK)」代表 小笠原一能さん(30)
精神科医として医者以外の声にも耳を傾けようと、昨年9月からアルコール依存症体験者や家族、カウンセラーらで作る市民グループの同会に参加。「依存症の患者に出会う度、家族や地域の理解が治療に不可欠であることを実感する」という。
高校生の時、精神科医を志した。精神科の医師が患者に暴行をふるって問題になった「宇都宮病院事件」の報道を見て、日本の精神科医療の遅れを感じたのがきっかけだった。
大学病院で実習を重ねるうち、一刻を争う救急医療や長時間手術を行う脳外科などではなく、ゆっくりとしたペースで患者に接する精神科が自分の性格に合っているとますます確信した。
会は毎月第二土曜日を中心に高松市女性センターで勉強会を開催。メンバーは約15人で、児童虐待も取り上げるなど活動の幅を広げている。
「アルコール依存症になりやすい人は、元もときちょうめんで、まじめな優しい“いい人”タイプ。自分で病気を自覚しないうちに友人や地域から孤立し、ますます深みにはまっていくのが悲劇」という。
会に参加するようになって、禁断症状を取り除くだけでなく、退院後、自助グループに橋渡しするなど再発防止のためのケアも医師の重要な役目と考えるようになった。「将来、メンバーがいろんな職場や学校を回ってアルコール問題について訴え、正しい理解を広げる活動を続けたい」と張り切っている。
(高松総局・板成 美保)
(平成10年2月27日付け 読売新聞朝刊)
48歳の男性2人「餓死」「栄養失調死」
阪神大震災の被災地にある仮設住宅で、独り暮らしの人がだれにもみとられずに亡くなる「孤独死」は、207人を数える。自宅の再建や復興住宅への移転で、仮設住宅の住民はピーク時の半分に減ったが、孤独死が減る様子はない。何が被災者を死に追いやっているのか。孤独死者のうち、「餓死」「栄養失調死」とされた2人のケースから、この連載を始めたい。
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兵庫県西宮市の仮設住宅で昨年4月9日、中年の男性が六畳間に仰向けに倒れているのが発見された。死後約20日。テレビも冷蔵庫もない部屋に、ビールの空き缶と日本酒の空き瓶が散乱していた。県内で143人目の孤独死。男性は48歳の元ガードマンで、所轄の甲子園署は死因を「餓死」と発表した。
市の生活支援アドバイザーが4回接触している。留守がちの男性に初めて会えたのは、震災が起きた1995年の暮れ。男性は「体の調子悪い」と訴えた。理由を聞くと、「酒好きやから」と話した。
注意が必要だと思い始めたのは翌年3月。やせていた。「コメ買うんやったら酒のほうがいいわ」という。その後の訪問では、「仕事やめた」「医者に肝硬変て言われた」とも話した。会うたびに、やせ方がひどくなっていた。
男性の死から1年後の仮設を訪ねた。かつてテニスコートだった敷地に、1棟7戸の細長い棟が並ぶ。住民に男性のことを聞くと、「どの人やったかなあ。何せ、ようけ死んどるから」。
男性は表札も出さず、玄関に南京錠をかけ、裏窓から出入りしていたという。4軒隣の自治会役員(65)は、救援物資やお知らせのチラシを渡そうと何度も訪ねたが、ついに顔を見なかった。「でもそんな人、珍しくないんですよ」
この仮設では毎土曜、集会所でカラオケ会を開いていた。閉じこもりがちな住民のためだったが、決まった顔ぶれしか集まらなかったという。
自治会役員は「独りもんは、自分では知り合いもよう作らん。そんな人に限って、お金ないはずやのに近くのパチンコ屋でよう見かける。結局寂しいんですわ。せめて人込みの中にいたいんですわ」と話す。
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「栄養失調による衰弱死」のケースは、97年7月、神戸市北区の仮設であった。やはり48歳の男性だった。亡くなる1カ月前、市の生活支援アドバイザーが訪れると、男性は下着姿だった。理科室にある人骨標本のように見えたという。入院を勧めると、「危なくなれば自分で救急車を呼ぶ」と拒絶した。
被災者支援のボランティアが訪ねるようになった。1回目は戸口で立ち話。1週間後にようやく、中に入れてくれた。床は100個近いカップラーメンの空き殻で埋まっていた。さらに1週間後、掃除と買い物を依頼され、「来週、病院に連れていってくれ」と言われた。約束の日の7月3日、警察の委託で仮設を巡回している相談員が、男性の遺体を発見した。
仮設支援NGO連絡会顧問の梁勝則(リャンスンチ)医師は、孤独死のプロセスをこう分析している。喪失体験や、社会的失敗の繰り返し▼社会からの戦線離脱▼自宅への閉じこもり、対人関係の断絶▼過度のアルコール、不十分な栄養▼ビタミン不足、虚弱化、慢性疾患の悪化▼衰弱死、急病死――。
今年、中央区の仮設で行われた生活調査結果を分析した内藤三義・佛教大助教授によると、月収10万円未満の住民が35%を占める。健康に問題があるとした人が7割いるのに、15%が医療費を節約し、35%の人が1日の食事回数を2回以下に抑えていた。
「この傾向が直接、孤独死に結び付くわけではないが、状況は悪くなる一方だ」と内藤助教授は話す。
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「栄養失調」で死んだ男性は、震災後しばらくは、自力で立ち上がろうとしていたようだ。仮設に入って最初の1年間は、近くの居酒屋の陽気な常連だった。そこで知り合った人の紹介で、解体作業の現場で働いた。しかし、96年春から、仕事にも居酒屋にもぷっつりと来なくなった。
遺品を整理した遺族が「よければ使ってほしい」と、袋に入ったままの新しい地下足袋4足を仮設の集会所に置いていった。室内で見つかったという。
男性と酒を飲んだことのある住民の1人は「自分のことは全然話さんかったけど、地下足袋を見ると、もっと生きて働きたかったんかなぁ」と話した。
【写真説明】
4月12日、66歳の独り暮らしの男性が亡くなっているのが見つかった。翌日、告別式が営まれた。発見前日の夕方には近所の人が食事を差し入れたという=兵庫県西宮市の仮設住宅で
(平成10年4月24日付け 朝日新聞朝刊)
ガス止められても酒におぼれ
神戸港の水先案内船の元機関長(54)は、震災が起きた1995年の夏、神戸市中央区・ポートアイランドの仮設住宅に入った。
以来4回、酒で肝臓を壊して入院した。4回目はこの3月。足が動かず、車で運ばれた。だが、10日後に強制退院。前夜に病院を抜けだして酒を飲み、看護婦に見つかったからだ。
病院を出て4時間後、紙パックの日本酒2本を抱えて仮設に戻ってきた。1本は自分用、もう1本は仮設の友人への土産。電気は止められていた。薄暗い部屋の壁に、船の写真。元機関長は酒を飲み始めた。
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中学を出て船乗りになった。猛勉強し、40歳で一等機関士免許を取った。月収が40万円を超えた時もある。93年に離婚、船会社もけんかが原因で辞めた。そして震災。神戸港も大きな被害を受け、仕事がなくなった。
震災後、一度船に乗った。船内で酒を飲んで船長と口論し、3週間で辞めた。前はカラオケ店でのにぎやかな酒だったが、いつしか1人こもって飲むようになっていた。
昨年から生活保護を受けている。月8万円の支給だが、すぐ酒につぎ込むので、今年から週割り支給に変えられたという。
2週間後、午前9時ごろ訪ねると、もう酒のにおいがした。船乗り時代の習慣で、5時に目が覚める。することもない。友達から200円借りて、1杯飲んだという。「ガスも止められた。こんな体では仕事も探せん。仕事ないと暇やろ。酒飲んだら寝られる」
港から長い汽笛が聞こえた。汽笛が1回なら左回り、2回なら右回りに進む合図なのだと教えてくれた。「この音を聞くのが、いちばん寂しい」
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ポートアイランドの別の仮設前に「テント」と呼ばれる場所がある。生協店が一昨年秋、駐車場の一角に白いテントを張り、長机とベンチを置いた。酒好きの仮設住民で、埋まった。「仮設の住民はみんな朝から酒を飲んでいると思われる」と、ほかの住民の評判はよくない。
復興住宅への移転が進む今ではテントに集まる人数も減った。それでも必ずだれか来る。
4月初めの金曜日。1人が午前8時から飲み始めた。午前11時には8人に増えた。缶ビール、日本酒、焼酎(しょうちゅう)、ウイスキー、水割り用の水が長机に並んだ。
酒はその時々に金のある人が持ち寄る。最近の主な話題は、復興住宅へ転居した人のうわさ話。低い声での会話が続き、酒は意外に減らない。「仕事もなく1人で飲んでいたら、酒量は増える。ここがなくなると孤独死が怖い」。常連の1人はこう話す。
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阪神・尼崎駅そばの雑居ビルの一室。男たちがおもちゃのバケツやハンガーづくりなどに黙々と取り組んでいる。兵庫県断酒連合会のリハビリ作業所「はなみずき」だ。手間賃はない。午前9時から午後4時まで酒を断ち働くことで、社会復帰を目指す。
ここに通う男性(34)は元とび職。関西空港連絡橋の工事に参加したことが自慢だ。震災前はビールをちびちびやる程度だったが、仮設に移り、仕事は激減して時間を持て余した。朝から飲むようになった。
酒がうまかったのはいっときだけ。だが、切れると苦しくて、また飲んだ。入退院を繰り返し、計10カ月間を病院で暮らした。「まだ完全に断てる自信はない。こうして仲間と一緒にいなければ、死ぬまで飲んでいたやろう」
昨年10月の兵庫県の調査によると、仮設の「重度の問題飲酒者」は、7%にものぼる。仮設住民の診療にあたっている神戸協同病院の上田耕蔵院長は「いったんアルコール依存症になると、本人の意志だけで治すのは非常に難しい。仮設でも復興住宅でも、孤独死に直結するアルコールの問題はまだまだ続く」と話す。
【写真説明】
断酒会に入って酒を断ち、社会復帰を目指す男性。リハビリのためハンガーの組み立て作業で汗を流す。アルコールとの闘いは続く=兵庫県尼崎市の県断酒連合会の作業所で
(平成10年4月25日付け 朝日新聞朝刊)
アルコール依存症者は全国に約230万人いるといわれるなど、問題は深刻化している。高知アルコール問題研究所(下司孝麿所長)は5日、高知市で第26回高知断酒サマースクールを開く。同スクールを前に、下司病院(同市本町)の伊藤高精神科長は問題を扱っている臨床医の立場から、本人は無論、周りもまず問題を正しくとらえ、偏見や誤解を持たないことの重要性を指摘する。
各種の調査研究のデータから、高知県内に約2万人(人口の約2.5%)の人が、アルコール問題を抱えていると推定されます。しかし、これだけの数の問題飲酒者・大量飲酒者がいるにもかかわらず、アルコール問題が表面化しにくいのは、酒による酩酊に対して寛大であること、アルコール依存症への誤解と偏見が県民の中に残っていることが考えられるのです。以下に典型的な誤解・偏見の例をあげます(ASK=アルコール問題市民協会の水沢都加佐氏らの文献も参照)。
(1)昼間から飲んでいるわけじゃないからアルコール依存症じゃない
アルコール問題を持つ人がすべて昼間から飲んでいるわけではなく、初期の人はたいてい夕方から毎日大量飲酒をしています。問題が進行する中で、休日の朝酒が始まり、しだいに平日にも昼間から飲むようになっていきます。
(2)仕事ができているから依存症じゃない
アルコール問題を持つ人は、仕事中毒と言っていいほど、熱心に仕事をするのです。仕事に支障が出てくる段階では、すでにアルコール問題はどうにもならぬぐらい深刻化しています。
(3)酔って暴れるわけじゃないから依存症じゃない
最近酒乱型のアル中が減り、「静かなる依存症」と呼ばれるタイプが増えてきました。つまり、暴れたり暴言を吐いたりせず、静かに大量飲酒を続けている人が多くなっているのです。暴言や暴力の出る人でも、周囲が本人に対し間違った対応をすることが刺激となり、暴言や暴力を誘発している例も多いのです。
(4)性格の問題だから治らない
性格の問題だから、意志が弱いからアルコールを飲み過ぎて問題を起こすわけではありません。アルコール依存症という病気に支配されているのだという認識が必要です。そして、病気なのですからきちっとした治療を受ける必要があるのです。
(5)仕事や家庭のストレスがたまり過ぎているから飲み過ぎる
アルコール問題が進行していくと、理由を探して飲むようになります。これは本人が飲酒することに対して、問題を感じているために、なんらかの理由付けが必要になってくるからです。家族や仕事の問題などさまざまな理由をつけて、依存症者は飲酒しようとします。ですから、周囲もそれらの理由に振り回されないようにする必要があります。
(6)手が震えていないから依存症じゃない
手が震えることだけが禁断症状ではありません。寝汗をかく、むかむかする、頭が痛い、眠れない、イライラするなどさまざまな症状が出現してきます。場合によっては、カゼのような症状だけ自覚していることもあります。以上のような周囲の間違った問題認識が、「おれはアルコール依存症じゃない」という否認の心を増大させ、本人のアルコール問題をさらに悪化させてしまいます。
従って、正しい知識を持つことが極めて重要です。もし、家族、地域、職場など周囲にアルコール問題を抱えた人がおられる場合には、早めに専門医療機関や保健所、あるいは産業医へご相談されるなど、適切な対応をお薦めします。
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高知断酒サマースクールは5日午前0時から高知市鷹匠町の山内会館で開く。三重県立高茶屋病院の猪野亜朗医師の「否認−仕事中毒からアルコール依存症まで」と題した講演やパネルディスカッション、体験発表などが予定されている。
(平成10年7月4日付け 高知新聞朝刊)
<午前11時過ぎに、高知へ着いた。早速、小料理屋に入る。驚いたことに、この時間に飲み屋も店を開いている。さらにびっくりするのは、客がどこもいっぱいで、宴たけなわであることだ。さすが酒飲み日本一の、土地である>
驚き、かつ感じ入っているのは、作家出久根達郎さんだ。懇意の編集者に“高知へ行って、カツオを食べませんか?”と誘われて、飛行機で飛んできたのである。(「諸君!」九月号所載、「言葉のしずく(37) 食い疲れ」)
まっ昼間から飲み屋が開いていて、満員の客でにぎわっている、こんな光景は東京あたりでは、あんまりお目にかかれない、第一夕方にならないと飲み屋は開かない・・・・・出久根さんは、そんなふうにも書いている。
なんだか、高知の人間は白昼堂々と酒を食らい、酔っぱらって騒いでばかりいるような印象である。が、県民みんながみんな、そんなであるはずはないので、これはやはり珍しい光景というべきだろう。
しかし、高知の人間である私自身、いささか閉口するような場面に遭遇することがある。
昨年だったか、いまのように暑い暑い夏の日だった。ある食堂で昼食を食べていると、外に車がとまって、三、四人の男が降りてくるのがガラス越しに見えた。「ああ、きょうも暑いのう」と口々に言いながら、ドアを開けて入ってくる。
すると、なかの一人が呼ばわるような声で、「生でもやるか!」。たちまち衆議一決、すぐに男たちは、そろってビールのジョッキをかたむけはじめた・・・・・昼飯がすめば、たぶん車を運転して帰ってゆくのであろう。飲酒運転などということは、まったく眼中にないのであった。
これもまた、酒国土佐の一光景。私はあきれるのを通り越して、情けない気持ちになったのを覚えている。(片岡 雅文)
(平成10年8月6日付け 高知新聞夕刊)
保崎秀夫 精神科医
酒を飲むとセーブの効かない息子 子供や家族に当たり散らす
60歳代の女性です。40歳代の息子が、酒を飲むとセーブの効かなくなることについて相談します。
普段は気の小さいタイプですが、飲んで眠った後に目が覚めると、大声を出すうえ、自分の二人の子どもや家族に当たり散らし、翌朝会社へ行かせるのも難儀するありさまです。
いろいろ言って聞かせるのですが、なかなか耳を傾けてくれません。息子にはこれといった趣味がなく、気持ちを発散させる方法もないようです。
私の夫は既に亡くなっていて、息子にとって怖い人が家にはいません。身内の男性か、会社の上司に相談を、とも思っていますが、おそらく息子は怒りだすでしょう。
飲酒による乱れはこのごろ特にひどく、子どももまだ小さいので悪い影響が出ないかと心を痛めています。よきアドバイスをお願いします。
(山口・E子)
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息子さんの奥さんは夫の飲酒をどう思い、どうしようと考えているのでしょうか。あなたと同様に奥さんも心配しているのですか。それとも放任しているのでしょうか。最近は、飲酒に関しては妻の考え方や行動が問題視される時代になっています。本人の治したい意欲はもちろんですが、奥さんの方が問題です。
とりあえず、奥さんがアルコール依存症の専門医に相談して(もちろん本人が直接いけばいいのですが)、受診の方法や周囲の対応法を教えていただくのがよいと思います。その際、身内に酒癖の悪い人がいるか、飲酒量と回数、家庭内だけで問題がおきているのか、仕事はちゃんとやっているのか、職場に苦情が出ていないのかについて、資料にして持参してください。
家庭で騒いだ後、どの程度記憶しているかなども参考になりますし、会社や家庭でのストレスの有無や、本人の性格などが関係してきます。これらの点もまとめておくと、相談がスムーズに進みます。専門医の所在は、近くの保健所の精神保健の担当の係に聞けば教えてくれるでしょう
(平成10年8月12日付け 読売新聞朝刊)
酔った時の記憶が所々途切れる。今日は飲むまいと思ってもつい飲んでしまう。酒を飲まないと寝付けない・・・・・・。こんな信号が出ているのに、アルコール依存症者の多くは、自分が「病気」との自覚がない。
大抵は、そんな「問題飲酒」に気付かず、より深い酔いを求めて酒量が増え、自制が利かなくなり、内臓や精神を侵されていく。
どうしようもなくなり、入院して酒を断っても、退院すればまた再発するというケースも多い。
「アルコール依存症は『否認の病気』と言われ、すべては自覚から始まります」。酒をやめようと決意した人でつくる岡山県断酒新生会(約300人)の山手賢一事務局長(60)は強調する。
会員の大部分は酒が原因で仕事が出来なくなったり、家庭が崩壊したり、切羽詰まって入会してくる。医療機関のアフターケアを、全国に約600ある断酒会が担っている面もある。
ただし、苦労して断酒に成功したのに、再び飲み始める人もいる。安心して「今度はたしなむ程度にしよう」と思っても、結局、同じ道を歩んでしまうことが多い。
「依存症は、少しでも酒を飲んでいる限りは治らない。きっぱりとやめることでしか、普通の生活を送ることはできません」。山手さんも19年間、一切の酒を口にしていないという。
会には「酒をやめたい」と思う人ならだれでも入会できる。中心は50歳前後だが、最近は20歳代後半の若者や定年退職した会社員が、余暇を持て余して酒浸りになって入会するといったケースが増えているという。
例会は夕方を中心に、県内数か所でほぼ毎日開かれ、会員同士で「酒遍歴」や、断酒に成功した体験談を語るのみ。シンプルだが、飲酒の機会を減らし、同じ悩みや目標を持つ会員と励まし合い、断酒を続ける機会になる。
また、アルコール依存症は「家族ぐるみの病気」でもあり、依存症から抜け出すには家族の協力が不可欠で、会は家族を伴った参加を勧めている。
日本酒に換算して1-5合を」毎日10年飲み続ければなるといわれるアルコール依存症。心をリラックスさせ、人と人とのコミュニケーションの手助けとなる酒も、踏み外せば、人生が破たんすることにもなることを教えられた。
断酒会の問い合わせは、全日本断酒連盟(03・3953・0921)へ。
(平成11年1月4日付け 読売新聞朝刊)