アルコール問題研究所の発足 (昭和37・7・28)現在は、毎年7月高知市内で「高知酒害サマースクール」を開催し、全国から400名以上の参加をいただいています。
創立第一回準備会は、6月23日午後6時より高知市八軒町、下司病院にて催された。出席者は下司博士、秦泉寺高知大学助教授、沢村高知大学助教授、川崎薬学士、林俊男、松村断酒会長らにて、まず趣意書、規約、研究計画書を討議。
趣意書は『人類が地球上に生存することになってから、かなり古い時代から酒即ちアルコールを愛用するようになり、いつの頃からか慶弔いづれを問わず、酒を用いる 習慣が出来たのです。
しかし、この酒は必ずしも人類社会に、平和と健康をもたらしたとは云えないと思います。或る人は「酒は百薬の長である。」と礼賛し、或る人は「酒は百害あって一利なし。」と排斥し、論争はいつまでも結論は得られなかったようです。
百薬の長を説く人は「酒は楽しい生活の原動力。」といい、百害を説く人は「酒は健康を害し、犯罪の温床となり、家庭経済を破壊し、家庭の平和幸福を破るもの。」といっています。
人間の生活の中に、酒のあることによって醸し出される数多くの問題点を総合的に、究明することは未だ日本では手がつけられず、放置されたままになっているようです。
高知県断酒新生会が誕生して4年、300名の会員を擁して、その矯正に成果をあげつつある高知県に於て、日本にはじめての、アルコール問題研究所を設立し、アルコール問題を医学的、社会学的等あらゆる学問の分野に亘って、専門的に掘り下げを行い、総合研究の実を挙げようと本研究所の設立を見た訳です。
『昭和37年 高知アルコール問題研究所』
となっている。
各方面から注目されていた、高知県アルコール問題研究所は、このような趣旨のもと7月28日、発足したが内容整備のこともあって、8月19日「下司病院内アルコール問題研究所で、関係者が集まり、具体的な協議を遂げた結果」人事面で、研究所長−下司孝麿、所員に川崎清直、秦泉寺正一、沢村栄一、松村春繋が就任。研究所員は必要に応じて増員することとして、現研究所員がそれぞれの専門の分野で研究に入った。その他、研究に重要な役割を果たす専門家に対する嘱託は、順次委託することにして、ひとまず研究所の構成を完了した。
なお、顧問陣には
溝渕・高知県知事、 中田・高知地方裁判所長
氏原・高知市長、 吉岡・高知検察庁検事正
北折・高知県警察本部長、 久保・高知大学学長
近藤・高知県会議長、 中内・高知県教育長
森田・高知市会議長、 中沢・薬業社長
山崎・県酒販連会長、 楠瀬・協和農機社長
にそれぞれ交渉、快諾を得て陣容を整備し、ここに高知県アルコール問題研究所は、名実ともに充実したスタートを切ったのである。
この快挙を早くも知った「日本的薬理学者として、有名な信州大学の赤羽教授」からは激励文、募金カンパ等が届くといった、ハッピーな開所でもあった。
第一期の調査として、アル研が着手したことといえば、高知県断酒新生会員を対象とした「断酒調査」がある。この研究テーマによって、昭和37年11月10日、高知市帯屋町−福祉会館(会場)で開催された、中−四国産業医学会での研究発表は、参加した中−四国の専門家および関係者百余名に、多大の感銘を与えた。
ついで、昭和38年2月
工 場−公共団体における飲酒調査。
成人式−飲酒カードの配布。
この飲酒カードというのは、昭和38年の成人式に際し、アル研が年末から構想していたものを着手、県下の13,000人の若人に配布し、より良い、かれ等の社会人としての門出を祝福したカードであった。
高知市長、高知市教育委員会は、この「飲酒カード」に全面的な賛意を表し、県下五十二市町村に対して推薦状を添えたという事実からみても、この成人式「飲酒カード」の果たした投割は、意外な反響を生んだ企画だったといえよう。
(中略)
爾来、アルコール問題研究所は数々の企画をとりあげて、断酒会は決して禁酒団体ではないことをアピールし、広く社会の共感を得ることに努める一方、断酒会についての存在と、その必要性を強くPRして、社会と断酒団体をつなぐ架橋として、その責務を果たしてきた。
アル研は現在(ICAA、国際アルコール並びに薬物依存協議会)の、日本唯一の選挙権を持った正会員(フル・メンバー)である(開設者注)。
尚、選挙権のない準会員としては、京都県立医科大学名誉教授−小片重男(日本アルコール医学初代会長)等6名がいる。
注)現在、当研究所は正会員を辞退し、これに代わり香川医科大学精神科教授洲脇 寛先生(元下司病院医師)が正会員となっています。