リカバリー日本版
アダルトチャイルド物語
失われた時への旅路

 一昨年3月、私はアメリカのベストセラー「リカバリー」を東京の星和書店から翻訳出版致しました。現在好評発売中です。
 この本はアルコール依存症の親を持つ子供たちに関するものですが、「アダルトチャイルド」への関心を高め、その回復(リカバリー)の重要性が認識されるのに役立ちました。それだけでなく多くのアダルトチャイルドがこの本によって「気づきと癒し」を得て、彼らの回復に大いに役立っていることを多くの便りから知ることができました。訳者として大きな喜びとなっております。
 さて、今回、同じ星和書店からではありますが「リカバリー日本版アダルトチャイルド物語」(失われた時への旅路)を出版いたしました。
 「アダルトチャイルド」という言葉は、アメリカで十数年前から用いられ始めました。最初は、アルコール依存症家庭で幼少年期を過ごした子供たちが共通して大人になってからも不健康な生き方を続けることが多いことから、この言葉が作られました。「アダルトチャイルド」の概念は極めて衝撃的なショックを全世界に与えました。アルコール依存症はただ単に病人自身の回復がなされればそれで問題解決という旧来の考えはひるがえってしまいました。すなわち、小さな器である家庭に一種の極限状況を生み出すアルコール依存症は、その家庭で育つ子供たちに強烈な影響を与えずには済まなかったのです。子供にとってはその時期に親から生き方のひな形を与えられ、親との関わりの中で生きるシステムを形づくっていくのですが、それは大人になってからもその人の基盤として働き続け、アダルトチャイルドに不健康な生き方を強要し、白黒思考をもたらし、不全感や挫折体験を数多くさせる結果となります。しかもこうした家庭文化は不健康なまま世代間を伝播し、連綿と続くという事実が明らかにされました。
 その後、概念が拡大し、最近では、深刻な問題を抱え過ぎていて家庭がうまく機能せず、その結果子供が親から愛され、かばってもらえないばかりか、逆に子供から親への気配りや気づかいをして子供らしさを失うような生い立ちを持つ子供たちをすべてアダルトチャイルドと呼ぶようになりました(機能不全家庭で幼少年期を過ごした大人になった人たち)。結局他の機能不全家庭で不幸な生い立ちを体験し、子供ながらにして過酷な状況に適応を強要されたすべての人たちがアダルトチャイルドとして位置づけられることになりました。
 アダルトチャイルド体験につながる家庭の機能不全には

アルコール依存症家庭、
深刻な慢性病を抱える家庭、
両親の絶えざる不和、暴力沙汰、
離婚や死亡によって親を失うこと(強烈な喪失体験)、
不幸な里親、養子体験、
親から子供への虐待(体の危害や言葉の暴力、放置)、
ばくち、女性、覚醒剤などへ親の「のめり込み」で家族が危機に陥ること、 
親が仕事中毒で家庭をかえりみないこと、 
子供が「親から愛されていない」「生まれなきゃよかった」と思うような家庭環境、
「親は私の誕生を望んでいなかった」と子供に思わせるような家庭環境、
子供が親からの過保護、過干渉にさらされるような家庭環境、
親の愚痴やお説教が横行し、過度に批判的、審判的で子供ののびのびとした発想をつぶしてしまう家庭環境、
大きな災害や戦争、極度の貧困などで幼少年期をその困難で押しつぶされた環境
などがあります。
 機能不全家庭で育つ子供は過酷な条件に適応し、精一杯生き延びる歴史を持ちます。その歴史によってある意味では生きる強靭さを得る筈です。機能不全家庭で育つ子供はその豊富な体験とトレーニングのゆえに感覚の鋭さと周囲を察知する高い能力を得ているはずです。大成した作家や芸術家あるいは他の分野で活躍している人々の中のかなりの部分がアダルトチャイルドとみなされるについては、このような感覚や能力が役立ったと思われます。大成したがために伝記や人物研究の記録が残され、彼らの生い立ちまで知ることができて、アダルトチャイルドであるという判定ができるわけです。しかし、彼らの素晴らしい作品や実績は賞賛を受け、名声を得て、さながら羨望の的となる彼らの人生ですが、必ずしも賞賛や名声にふさわしいとは思われない不幸な例が多いようです。対人関係で不運に見舞われ、挫折多く不全感に満ちていて、幸せでなかったのです。不幸な生い立ちが、それゆえに際だった能力を育て、そして特定の領域でその能力を発揮することができて大成したとも言えるでしょう。しかし彼らの光と陰の隔たりは大きかったのです。
 また、持ち前の「責任感が強く自己偽性を厭わず人の面倒をみる」特性で人々を助ける立場の職業を選択するアダルトチャイルドもたくさんいます。いわゆるピープルヘルパーズ(助ける人々)です。その人たちは社会的貢献を一生懸命行いながらも、自己評価を十分することが出来ず、他人を大事にするのに自分を大事に出来ないことが多く、自分のことで不全感に悩みます。
 そして圧倒的に多いアダルトチャイルドは培われた力を発揮する場を得られないまま、「どうして私はこんなことに何度もめぐり会うのか」と自分の不幸と身の不運を嘆き、自分を過小評価し、自己尊重感を持てないまま過ごします。他人からの評価に気をもみ、先回りをして心配をします。「人を傷つけるのではないか」「人からどう思われるか」と過剰な心配をして、自分の気持ちを率直に表わすことをひどくためらいます。少しのことで裏切られたような、見捨てられたような感情に襲われ、深く落ち込みます。あるいは人から裏切られないように、見捨てられないように悲壮な努力をします。
 傷つきやすい自分を虚飾し、物事にこだわり通し頑固で意地を張り通すアダルトチャイルドもいます。自説を曲げられず、柔軟さを失っても、「それは自分の本来の生き方だ」と修正不能を正当化します。また根性論を振り回したりもします。根性の裏側にはとても孤独でうすら寒い姿が見えます。柔軟さを失い、周囲の人との衝突が多くなり、孤独のなかで挫折を味わい、突然崩れ去ってしまうことも多くなります。アダルトチャイルドはトレーニングされた強靭さと感覚の鋭さ、高い察知能力を持っている筈なのにそれを自分の人生の幸せや豊かさに生かす事ができないのはそれを阻む要因を「生きるシステム」の中に持っているからです。「生きるシステム」は幼少年期にその大半が形づくられます。アダルトチャイルドは、子供時代に不遇ないびつな生き方を親との長い生活で強いられたために生き方を邪魔するような特有な要因を抱えこんでしまったと思われます。幸せや豊かさを阻む要因としては次のようなことが挙げられると思います。
相手の表情、気持ちに対する察しが早く、他人に対する過剰な気づかいをする。
他人の自分に対する感情や評価が気になって仕方がない。
他人からマイナス評価を受けるとひどく落ち込む。
一つの具体的なことに対するマイナス評価でも「すべてか無か」の思考に陥り、自分のすべてが全否定されたかのように受け取り、裏切られ感情、見捨てられ感情に 陥ってしまう。
自己尊重感が低い。自分を大切にしない。
一途にのめり込み、自分にとって大切なものを犠牲にする。
自分の気持ちを抑圧する。時には自分の気持ちを感じ取れない。
自分の気持ちや意見を出すと人からどう思われるか気になって出せない。
時のよっては感情を暴発させコントロールがきかない。
自分の責任を過大に感じ、その重さに押しつぶされて逃げ出す。
 こうした要因の結果、率直なコミニュケーションがなされにくくなり、対人関係がうまくいかなくなり、不必要な挫折体験が多くなり、落ち込むことが多くなります。 かくして過酷な生活条件のなかで得た強靭さ、感覚の鋭さ、すぐれた察知能力も、特殊な領域でしか発揮できないことになります。人生総体としては満足、納得のいかない、不全感の多い、不幸な人生に終わります。
 アダルトチャイルドの概念が確立されて、その視点で自分の人生を振り返るとき、これは自分にも多くの人にも当てはまることであると気づきます。同時に自分の特性と思い込んでいたことの謎解きができ、癒されるでしょう。そして気づかないままにいた言わば「人生のかさぶた」がとれて、楽な人間関係、ライフスタイルを持つことができるようになるでしょう。今回の「リカバリー日本版 アダルトチャイルド物語」は物語を多く取り入れ、読みやすくなっております。気づきと癒しが読者に得られると信じております。
 精神科医という職業柄で私の周りには悩めるアダルトチャイルドが大勢います。その多くの人は、精一杯生きて、時には当てもなく逃避して、壁にぶつかり、袋小路にはまり込んで抜けられなくて、悩みの果てに訪れたものです。「私はいつもどうしてこうなんだろう」、「私はどうしてこうも不運なのだろう」という共通の思いを持っています。その人たちは抑うつ状態(うつ病など)、パニック症状、アルコールや薬物の乱用もしくは依存症、摂食障害、感情障害(抑うつとか高揚状態。両方が時期を違えて出てくる場合もある)、様々な嗜癖行動による挫折体験などで私たちの前に登場しました。そして本人たちがいろんな手だてを得て、回復のプロセスから逃避さえしなければ、ゆっくりした時間を経ながら回復してゆく姿が見られます。若い人たちが多いのですが、たくさんの方が従来と違った気づきと癒しを得ながら回復して、ライフスタイルそのものが気楽で安全感のあるものへと変化(回復)していきます。
 回復の手段に到達していない圧倒的に多数のアダルトチャイルドは、そのルーツに気づきもしないまま、多くの困難に遭遇し挫折体験を積み重ね不健康な生きるシステムのなかで処理しながら何とかしのいでいると思われます。まさに宿命のようにそれを苦難の栄養源として受け入れているのではないかと想定されます。それは決して無駄ではないにしても、多くのアダルトチャイルドをどん底に追い込み、消耗感を与え、人生そのものに疑問を抱かせる結果になってはいないでしょうか?不全感の多い人生は、その人の生きるエネルギーを浪費させます。
 虐待(チャイルドアビュウズ、バタードウーマンなど)問題、学校での「いじめいじめられ」など、今大きな問題として取り上げられつつありますがアダルトチャイルド概念で一度見直すことも必要と考えます。機能不全家庭での不健康文化のなかで生きているがゆえの不登校(登校拒否)の子供たちを、私たちは体験から大変多く感じますが、それは子供自身の症状もしくは不適応とだけ捉えることはできません。まさしく家庭の不健康システムから由来する以上、それに手を付け改善する必要があります。
 アダルトチャイルドの概念が普及して、まずはアダルトチャイルド自身、次いで関係者(断酒会員やAA参加者や家族)、医療関係者(医師、保健婦、ケースワーカー、福祉担当者、カウンセラーなど)、教育関係者(教師、養護教員、教育カウンセラーなど)に理解される必要性を私は強く感じます。ひいては、アダルトチャイルドの概念が全国民的に理解される時が来るべきです。
 断酒会員にしてもAAの参加者にしても、自分が断酒したらそれで問題は何も残らない、すべてが「めでたし、めでたし」にはならないことを強く訴えたいと思います。たしかに断酒しなければ何事も始まらないのは事実ですが、そこでとどまってはなりません。その“かなめ”の問題の一つはアダルトチャイルドのことです。
 私は、請われて前著『リカバリー』の裏表紙に一筆入れるときに「子に遠く思いを馳せて」と入れるようにしています。それはあなた自身が、子供時代にアダルトチャイルド体験をしてきていないかに思いを馳せてほしいのと、同時にあなたの子供がそのような体験をしていないかに思いを馳せてほしいからです。人間は歴史に無頓着であってはなりませんが、ことに自分の歴史を引きずって思い足かせにしてはいないかというのがアダルトチャイルド問題です。
 私は断酒会に深く関わっていて、三重断酒新生会を24年間にわたって応援し続けてきました。三重ではアダルトチャイルド問題はとてもよく理解されております。その視点を持つことができるとそれまでと違って子供たちを深く理解できるようになり、子供とのコミニュケーションも改善されます。しかし一方で悲しい思いをすることがよくあります。「私の子供には何の問題もない」と言い切って、飲酒時代にどれほどの精神的な傷を子供たちに与え、それが成人してからの生き方にどれほどまでに影響を与えるものなのかを否認し、気づかない人々がいることです。子供に問題があるとかないとかの議論の前に、自らが子供に与えた精神的な傷に「思いを馳せない」としたらそれは当事者として無責任というものでしょう。それに、断酒会員自身がアダルトチャイルドである場合も極めて多いことを思い起こして下さい。ことは他人の問題ではなくて、自分の問題でもあることを肝に銘じて下さい。
 アダルトチャイルドの用語はアルコール依存症家庭の研究から生まれたものです。 そのアルコール依存症からの立ち直りの場が断酒会ですが断酒会を全国的に見渡して、総じてアダルトチャイルド問題に関心が薄いことも気になることです。断酒しなければ何事も始まらないのは事実ですが、断酒すればそれですべて目的達成ではなくあくまで前提条件です。子供に残した傷跡に無関心では片手落ちです。
 皆さんにお願いしたいのは、今度の『リカバリー日本版 アダルトチャイルド物語』をアダルトチャイルドの概念を理解する上で一助にしていただきたいことです。 前翻訳書の『リカバリー』はややむずかしいという一部の評判もありましたが、今回の本は読みやすく、物語を読むような感じでアダルトチャイルドの概念が理解できるのではないかと思っております。
 どうぞ、よろしくご配慮をお願いいたします。
               平成8年4月 吉日

三重県津市城山1丁目12の1 三重県立高茶屋病院
 大越 崇(全断連顧問)(断酒の家診療所所長)
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